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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2524号 判決

東京都渋谷区千駄ヶ谷四丁目七一三番地

控訴人

田中不二雄

右訴訟代理人弁護士

吉住仁男

東京都千代田区大手町一丁目七番地

被控訴人

東京国税局長

竹村忠一

右指定代理人

広木重喜

鴫原久男

多賀谷恒八

篠原章

西条起弘

右当事者間の昭和三四年(ネ)第二五二四号所得税決定取消請求控訴事件につき、当裁判所は次の通り判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す、被控訴人が昭和二九年一〇月一四日附で控訴人に対してなした(一)、控訴人の昭和二四年分所得税に関する審査請求に対し、渋谷税務署長がした控訴人の同年分総所得金額を金一、四二一、九五五円とする決定中金二二七、九五五円を取消し、これを金一、一九四、〇〇〇円とした決定、(二)、控訴人の昭和二五年分所得税に関する審査請求を棄却した決定、(三)、控訴人の昭和二六年分所得税に関する審査請求を棄却した決定はいづれもこれを取消す、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする、」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、新たな証拠として、控訴代理人に於て甲第六号証の一乃至三、甲第七号証を提出し、当審に於ける証人豊田厳同飯田明同中村定雄同浅利重雄同田中不二彦同大島義雄の各証言並びに控訴人本人尋問(第一、二回)の結果を援用し、乙第一四号証乙第一五号証乙第一八乃至第二二号証は不知、乙第一六及び第一七号証の成立を認めると述べ、被控訴代理人に於て乙第一四乃至第二二号証を提出し、当審に於ける証人宮本久蔵の証言を援用し、甲第六号証の一乃至三は不知、甲第七号証の成立を認めると答えたほかは、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。(但し別紙要約書三、(一)中昭和二九年四月一四日付とあるは同年一〇月一四日付の誤記と認められるので訂正する。)

理由

(一)  訴外渋谷税務署長が第三者通報に基き、昭和二八年四月三〇日控訴人の所得税に関し、昭和二四年分総所得金額は金一、四二一、九五五円、昭和二五年分総所得金額は金一、一一〇、三七〇円、昭和二六年分総所得金額は金一八八、八〇〇円であると決定し、同年六月一日その旨を控訴人に通知したこと、控訴人が右決定に対し同税務署長に再調査の請求をしたところ、被控訴人は所得税法第四九条第四項第二号により審査の請求とみなして昭和二九年一〇月一四日附で、(1)昭和二四年分所得税に関する審査請求については渋谷税務署長の前記決定中金二二七、九五五円を取消し、同年分の控訴人の総所得金額を金一、一九四、〇〇〇円とする旨の決定をなし、(2)昭和二五年分及び昭和二六年分の所得税に関する審査請求についてはいづれもこれを棄却する旨決定し、右各決定が即日控訴人に通知されたことは当事者間に争いがない。

(二)  控訴人は右の審査決定は、控訴人が単独で編物機製造販売業並びに編物講習の事業を営んでいたという誤つた認定の下になされたものである。と主張するけれども、原審証人浅利重雄の証言によりいづれも真正に成立したものと認められる乙第二号証並びに乙第九号証、原審証人大滝浩の証言によりいづれも真正に成立したものと認められる乙第一号証の一乃至一二、乙第八号証並びに乙第一〇号証の一、二、原審並びに当審に於ける証人浅利重雄、同中村定雄(当審に於ける中村証人の証言は一部)、当審に於ける証人宮本久蔵の各証言及び弁論の全趣旨を綜合すれば、

「訴外宮本久蔵は昭和二三年一月頃から東京都渋谷区千駄ヶ谷所在の控訴人所有の建物を賃借して東洋編物普及会の名で編機の販売並びに編物講習の事業を営み、控訴人が右の東洋編物普及会々長ということになつていたけれども、それは訴外宮本久蔵の頼みで名前を貸しただけであつて、控訴人は経営には一切関与せず、家賃を受領するだけであつた。ところが昭和二三年六月頃両者の間で家賃のことから紛争が起り、結局訴外宮本久蔵は同年九月から他所に移り、そのあと控訴人が個人で從前東洋編物普及会の使用していた建物(即ち自己所有の建物)で、名称を東京高速編物研会究と改め、訴外中村定雄等を雇つて同人等の技術経験を利用し、編機の製造販売とその編機を使用する編物講習の事業を営むに至つた。そしてその後訴外中村定雄が一、二回控訴人方を辞めたり又雇われたりしたことがあつたが、控訴人は右の事業を続け、昭和二五年一一月二七日東京高速編物株式会社を設立し(右会社設立の点は当事者間に争がない)その取締役となつた後は、右訴外会社に編機の製造販売の面を移譲し、控訴人は編物講習事業のみを営むこととなり昭和二六年末迄これを続けていたこと、從つて控訴人は昭和二四年当初より昭和二五年一一月二六日迄は編機の製造販売と編物講習の事業による収入、同月二七日から昭和二六年末迄は編物講習事業の収入と前記訴外会社の取締役就任に伴うその給与所得とがあつた。」

以上の事実を認めることができ、右認定に反する原審並びに当審における控訴人本人尋問の結果、当審における証人中村定雄の証言の一部、甲第三並びに甲第四号証の各記載は前顕証拠や当審における証人飯田明の証言に照らしたやすく措信できず、他に前認定の事業が控訴人と訴外中村定雄とで損益を分担する趣旨の共同事業であつたことを認めて前認定を左右するに足る証拠はない。

(三)  次に控訴人の昭和二四年、昭和二五年及び昭和二六年における各所得額についての当裁判所の認定は後記(四)の通り昭和二五年に於ける編機の販売原価を原審より高くみ、從つて同年の所得がそれだけ減少するものと認めるほかは、原判決説示の通り(原判決三枚目表四行目より一〇枚目表二行目まで)であつて、当審に顕われた証拠によつても右認定を左右するに足りない。

(四)  原審並びに当審証人浅利重雄の証言によると、昭和二五年の編機の販売原価は、一二〇目機については前年同様一台当り金一、五四一円三二銭を相当とするが、高級の一四五目機については一台当り金一、七六八円、一七〇目機については一台当り金一、八七二円に夫々原審の認定よりも増額するのが相当である。けだし右浅利証人の証言によると、一二〇目機に関する右金一、五四一円三二銭の販売原価は当時としてはゆとりのある金額であることが判るけれども、これをもつて一二〇目より一七〇目までの各種編機の中での最高の販売原価であつたと認むべき資料がないので、これを一二三機の販売原価として扱う以上、より高級の一四五目機及び一七〇目機の販売原価はこれを上廻るものとして扱うのが相当であるところ、その販売原価を知る直接の証拠がない本件に於ては、(一二〇目機の販売価格に対する販売原価の割合が五割一分強であるから、一四五目機及び一七〇目機の場合多くとも五割二分を超えないものとして)一四五目機及び一七〇目機の各販売価格に対し右五割二分の割合で算出した価格を販売原価とするほかはない。そしてかような算出方法は他に資料のない本件に於ては已むを得ないところである。

してみると昭和二五年の売上原価は、

一二〇目機 金一、五四一円三二銭 五五七台 小計金八五八、五一五円

一四五目機 金一、七六八円 三三四台 小計金五九〇、五一二円

一七〇目機 金一、八七二円 二二三台 小計金四一七、四五六円

右売上原価 合計金一、八六六、四八三円

となり、昭和二五年の編機所得は総売上高金二、九九四、二〇〇円より右売上原価金一、八六六、四八三円を控除した金一、一二七、七一七円となり、同年の所得合計は右金額に編物講習による所得金三五六、三〇〇円と給与所得金八、五〇〇円を合計した金一、四九二、五一七円となる勘定である。

(五)  右(三)、(四)のとおりであるとすれば控訴人の所得は昭和二四年分が金一、二六一、八二五円、昭和二五年分が金一、四九二、五一七円、昭和二六年分が金二八六、八〇〇円であるから、控訴人の所得を右金額内に認定してなした本件各審査決定には控訴人主張のような違法の点はない。よつて右審査決定の取消を求める控訴人の請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当である。従つて本件控訴はこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条を各適用して主文の通り判決した。

(裁判長判事 梶村敏樹 判事 室伏壮一郎 判事 安岡満彦)

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